さて、昨日の続きです。
アジアの観光地にはよく物乞いを見かける。車椅子に乗ってたり、缶を持ってウロチョロしたり、座ってたり・・・スタイルはいろいろ。昨日の日記にも書いたけど、もち子連れもいる。
俺がいたマレーシアのペナンでももちろんいた。
寺の横にいたり、路地にいたりと・・・・
明らかに旅行者目当ての人たちなので、現地の人たちは見て見ぬふり。
現地の言葉で「オ金クダサイ」と言ってたり、「Give me money」と言って、小銭の入った缶をカランカランと音立てながら近づいてくる。
おれっちは、7割方、小銭を入れていった。特に何も考えず・・・
それから、ある日本人の女の子と知り合って、1日だけ一緒に観光することになった。
その時、特になにも気にすることなく、おれっちに物乞いが話しかけてきたんで、小銭をいくらかやった。
「thank you」と言ってその場を立ち去る。
その行為に、女の子は若干険しい表情をしてた。
「ヒデさんって、乞食にお金あげるんですね。」
「そうだねぇ・・、べつにこれといった理由はないけど、小銭程度ならあげてるかな~」
「私は、絶対にあげないんですよ。なんか・・・イヤなんです。」
まあ、人それぞれですから、イヤなら別にいいんだけど、せっかくなんで「なんで?」と訊いてみた。
彼女的には「私達がお金をあげることで、彼らの労働意欲を奪ってるんです。人の情を利用してお金をもらおうという魂胆自体が気に食わない。あげてる人もなんだか偽善者に思えてくるんです。『あ~、いいことしたな♪』って勘違いしてるようで・・」
なるほど・・・そんな考え方もあったか。
あながち間違ってはいないかも・・・・一理ある。
確かにそんな感じはするかもね。
たまに、怪我もしてないのに松葉杖をついて立ってる嘘つき物乞いもいるし。
じゃあ、今までおれっちがやってた行為は偽善?
どうだろう?
これを読んでる皆さんだったらどうする?
それを考えると、夜も眠れない。
お金をあげる行為は偽善か否か・・・
ほんとに働けなくて、社会からも見放された物乞いだっているだろう。仕方なくそういう環境に育った人だっているだろう。しかし、そうじゃない人だっている。
しかし、その区別をすることは無理に近い。
考え方は人それぞれ。
別に「それが正しい」ってのはないと思う。
おれっちは「困った人がいたら助ける」と教えられて育ったんで、小銭程度をあげるようにしてる。
物価の違いもある。おれっち達には「たかが30円くらい・・・」と思っても、その国だったら朝食くらい食べれてしまう。
べつに騙されてもいいと思って小銭をあげる。見返りが欲しいわけじゃないから。
賛否両論あるのかもしれないけどね・・・